10月5日、聖心女子大学にて公開の緊急ランチミテーィングを開催し、TICADVIフォローアップ閣僚級会合で混乱が生じた「西サハラ問題」について考えました。西サハラ問題にずっと取り組んでこられた方から、今回、TICADの騒動で初めてこの問題について考えた、という方まで、約20名が参加しました。
まずは、今年8月にモザンビークで開かれたTICAD会合での混乱の様子と、これまでに開催されたTICADからみた西サハラ問題について、世話人の稲場雅紀さん(アフリカ日本協議会)が解説しました。
続いて、長く西サハラ問題に取り組み、西サハラ問題研究室主宰を務める高林敏之さんに発表をしていただきました。1975年、モロッコが西サハラに進攻した(※当時、モーリタニアもモロッコとともに軍事進攻したが、1979年に放棄)ことに端を発するこの問題は、以来、事態の解決が図られることなく年月が過ぎ、「忘れられた戦争」と呼ばれてきました。しかし近年は、モロッコとモロッコを支持する国々、そしてサハラ・アラブ民主共和国(モロッコに占領された西サハラの人びとが亡命政府として設立を宣言した国)とその支持国が、国際的な場で幾度となく衝突しています。
この問題に対し、たとえば国連は植民者だったスペインによるモロッコとモーリタニアへの西サハラの分割譲渡の取り決めは「人民の自由な投票を経ることなく三国が決めた」ものであって認められないとし、「非自治地域」のリストに西サハラを掲載しています。また、アフリカ連合委員会の法務顧問局は2015年、「正当な施政権者でないモロッコに西サハラの天然資源の探査、採取、契約の権利はない」とする報告書を提出しています。2016年には欧州連合(EU)の司法裁判所が、「EU・モロッコ連合協定(自由貿易地域FTA)および自由化協定はモロッコ占領下の西サハラに適用されない」とする判決を下しています。一方、日本政府は米国とともに、一貫してモロッコ政府を支持し、西サハラを承認していません。そして、こうした各国の外交政策や利権が絡み合うなかで、多くの西サハラの人びとはいまも故郷に帰れぬまま難民キャンプで過ごし、西サハラにとどまった親戚や友人とも、「砂の壁」を隔てて自由に往来することができない状態が続いています。TICADでの混乱は、このような国際情勢を考えると、起こるべくして起きたものである、という講師の言葉が印象に残りました。その後の日本政府の対応を含め、この問題と私たちがどう向き合うのかは大きな宿題となりました。
高林さんには、詳細な資料を作成していただき、また90分という限られた時間のなかで、複雑な問題の複雑さを含めて丁寧に説明していただき、感謝を申し上げます。最後に、お忙しい平日の昼どきに足をお運びいただき、熱心に講師の話に耳を傾け、また一緒に考えていただきました参加者の皆さまにもお礼を申し上げます。
ありがとうございました。