みんなのTICADフォーラムではアフリカから来日した招聘者を中心に、TICADに関連するテーマを議論したり、日本でアフリカの懸け橋となるユースの活動をみたりしてきましたが、このセッションでは、日本で活躍するアフリカ人からお話を聞きました。日本には現在アフリカ出身の方々は約2万人いますが、その中からナイジェリア、エチオピア、ガーナから2名の方に来ていただき、お話を聞きました。
最初に登壇したケネディ・フィンタン・ンナジ氏は1992年に来日し、現在ナイジェリアユニオンジャパンの会長を務められ、廃車や銅などのリサイクルビジネスも経営し、成功されています。ナイジェリアユニオンは、在日アフリカ人コミュニティの中で最も規模が大きく、組織化しており、日本全国に地区代表が在日ナイジェリア人の取りまとめをしながら、ケネディ氏は全国組織の取りまとめを行っています。これまでこどもの日のイベントを通じてナイジェリアのルーツを知る会を行ったり、日本で生活するナイジェリア人の情報交換の場となるような場を作ったりしていること等についてお話しされました。
1975年にエチオピアから来日したガライヤ・タスファイエ氏は、笠間で在住し、陶芸家として活躍されています。2005年には叙勲も受賞されています。ガライヤ氏は、ご自身が作った作品をみせながら、母国エチオピアで飢餓に苦しむ子供たちのために、農業技術支援や教育支援を行っていること、また、日本政府の草の根無償資金援助スキームを使い、学校整備や道路の塗装、日本の消防車や救急車の供与も行っていること等をお話しされました。
トニー・ジャスティス氏は、1991年に来日され、神奈川県の相模原を中心にして、アフリカンヘリテイジフェスティバルを開催されています。日本の地域でアフリカの食や音楽等の文化を広め、アフリカの遺産を日本に人々の伝えることを目的として活動されています。トニー氏はこれまで主催してきたイベントの写真を通じて、日本人とアフリカの人々が触れ合い、交流していく姿や、今後やっていきたい活動として、母国ガーナでの学校を作ろうプロジェクト、日本で学校に行けない子供たちを支援する寺子屋プロジェクトについても紹介されました。
最後に、クアシ・チェイ・アモアベン氏から、ガーナ人協会の歴史についてお話がありました。ガーナ人協会は1990年代に設立され、現在の在日アフリカ人コミュニティの先駆的な存在でもありました。クアシ氏は1982年に留学生として来日しましたが、当時は数人の留学生がいたのみだったため、ガーナ人の横のつながりを保っていくため、在京ガーナ大使館や国連大学で教鞭をとるガーナ人とも協力し、絆を深めていきました。母国ガーナの経済悪化により、ガーナ人のアフリカ域内外の人の移動が大きくなるにつれて、日本においてもガーナ人協会を設立。ガーナ人の世話役や、日本人と結婚した方々との情報交換、そして日本でのガーナの普及に努めてきたことを話されました。
質疑応答では、来日したアフリカ人や在日アフリカ人の方々から、ディアスポラネットワークの強化に関する質問や、日本人からもアフリカ難民や避難民が増えていること、日本におけるアフリカに対するイメージに関する質問がなされました。
現在、日本においてもアフリカにルーツをもつミックスの子供たちやその家族も増えてきています。来日して20年以上になる今回登壇された方々は、非常に流ちょうな日本語で、アフリカと日本を結び、二つの国を心から大切にし、まさに両国の懸け橋となっている姿を知ることができました。セッション終了後もアフリカや日本の方々との交流や接点の場を作ることができ、充実した会となりました。