3月20日12時半~14時、カメルーンのヤウンデ大学准教授のウィリブロード・ゼ・ングワ氏、ブルキナファソの国際平和外交協会のウマル・ポール・コアラガ氏、日本のアフリカ紛争研究者の武内進一氏を招き、「アフリカにおける紛争と和解への取組み」と題するセミナーを開催しました。
ゼ・ングワ氏は非識字・紛争・人権侵害に反対するアフリカ・ネットワークの事務局長も務めています。このネットワークはアフリカの平和に向けて教育を通じた活動をしています。同氏は1981年、家族が襲撃にあったことや、2016年1月にも故郷で若者と軍の抗争があったことから、アフリカの平和を学び、活動を始めました。アフリカの多くの国は独立して50年がたちますが、依然として様々な格差や多様性、不平等に起因する暴力的な過激主義があり、貧困や飢餓、病気によってさらに悪化させられています。
アフリカの紛争の原因は一言でいうとInsecurityであらわされます。ボコハラムが拡大しているナイジェリアの北東部やカメルーン北部は非識字率が高く、こうしたことは路上生活の子どもが増えて過激思想に感化されやすい傾向があります。若者の過激化傾向に関しては、彼らが声を聞き入れてもらうために暴力に訴えていると言えます。社会の道徳水準を放棄することが社会にとっての脅威になっていると指摘しました。また、特定の宗教に関して疑問を持たずに進行し、宗教的原理主義に走る傾向や、汚職や説明責任の不在、無責任な憲法改正等悪しきガバナンスも紛争を助長している原因としました。
では、社会の平和と安定を築くにはどのようにすれば良いのか。ゼ・ングワ氏は、平和教育を学校やコミュニティで行うことの必要性や、社会の寛容性を高め、人々の共存を実現すること、国内や国際社会のパートナーとともに対話を築くことの必要性を強く指摘しました。また、日本や先進国パートナーから人材育成や情報分析支援をもらうことや、武器の密輸を防ぐための資金の流れを変革や国家間の隙間をなくすこと、若者のエンパワーメントの必要性を説きました。
ゼ・ングワ氏が特に強調することは、武器輸出の流れを阻止する必要性です。カメルーンでもボコハラムが及ぼす影響が注目されますが、武器のアフリカへの流入が不安定をもたらしている一因と指摘します。また、子どものころの教育の必要性も強く唱えました。それは、彼自身が若いころに紛争をなくす必要性を実体験としても感じ、ビジョンとなり、ミッションとして現在活動している姿からも言えることです。市民社会として、草の根から紛争を解決していくことが重要であることを訴えました。
コアラガ氏は2014年にブルキナファソで起きた選挙暴動を事例に、アフリカの紛争について説明しました。アフリカでは2016年、12か国で選挙が行われますが、ブルキナファソをはじめ、多くの国で選挙はしばしば暴力に発展してきました。これは国の脆弱性に大きな原因があるのと同時に、一部の国で起こっている大統領の任期延長に関わる問題が重要であると言います。
大統領の任期延長に関しては、自主的な権力移譲を求めることや、国内の強力な野党の存在、国内の強力な制度の存在、国民からの強い圧力、そして、国際社会からの圧力が絡み合ってその是非や成功が左右されます。アフリカでは多くの国が1990年代に憲法を改正し、複数政党制が導入されるとともに、市民社会の形成も進んできました。大統領任期に関する制限もこうした背景があります。
ブルキナファソの場合、2014年にそれまで27年間権力にあった大統領を追放しようとして市民が蜂起しました。大統領は憲法を書き換えてしがみつきましたが、国民は立ち上がったのです。国際社会においても国内政治においても影響力のある人物がわずか2日間の蜂起で退陣となったのには、国内格差の拡大や2001年の兵士反乱等に見られる国軍の行き詰まりに起因すると言います。政党や野党、市民や労働組合、若者等、多くの人たちが反発し、独裁者にNOを突き付けて大統領は国外に逃れたのです。とはいえ、野党の人が突然政権を取ることも困難で、空白の時期をついて軍事クーデター未遂が起こりましたが、再び市民が立ち上がり、国際社会からの圧力もあって民政に戻りました。選挙も非常によく組織され、自由、公平、透明性の高い選挙が行われました。
コアラガ氏自身は、現在選挙の監視団やキャンペーンの開催、若者の育成等、同国の民主主義の定着に向けた活動を行っています。同氏は、国のために選挙に臨むことの必要性を強く語りました。
二人の発表を受けて、武内氏はゼ・ングワ氏が指摘する対話を重視することの必要性や、雇用創出、教育という開発に関わる取組みがテロ対策に貢献すること、先進各国と安全保障や情報について共有することの必要性に共感を示しました。実際、ケニアやソマリア等テロリストがおかれている状況は混乱しており、開発に関わることはこの点からも必要で、非軍事的手段でいかに解決できるかも考えることが必要としました。
コアラガ氏の発表に関しては、現在アフリカのいくつかの国で大統領の三選禁止条項の書き換えが行われており、特にブルンジでは内戦に近い状況となりました。こうした点からもブルキナファソで市民革命によって平和的に阻止したことは、市民社会の役割も注目されます。ガバナンスを改善するための市民社会の役割やそれを支える要素について質問しました。
ゼ・ングワ氏は、すべての国の安全保障にかかわる紛争に関して、日本もロジ面での介入をしてほしいことを訴えつつも、平和と寛容性をはぐくむ教育、雇用を生み出せるような技術移転や教育等の必要性を説きました。
また、コアラガ氏はブルキナファソの市民社会の歴史は長いと言います。トマス・サンカラ大統領が1987年に殺害されたときから市民社会の動きが始まったこと、アラブの春以降SNSを通じて権力を求める動きが若者の間で始まったこと、直近ではセネガルで「もうたくさんだ」運動がおこったことが挙げられます。とはいえ、ブルキナファソでも若者の雇用が解決せずには暴力に発展する可能性があるため、今後の支援も必要であると唱えました。