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連載インタビュー「私とアフリカ、私とTICAD」【1】林 達雄さん

TICADはこれまで開催回数を重ね、来年で第6回目となります。連載インタビュー「私とアフリカ、私とTICAD」では、これまでTICADに関わってきた人々にお話を伺い、TICADの歴史を振り返ります。ご覧いただく皆様にとって、TICADという会議の存在を知っていただく機会、またはTICADに関する知識を深める機会になれれば幸いです。
記念すべき第1回目は、本ネットワークの事務局「アフリカ日本協議会」の特別顧問である林達雄
さんです。TICADが初めて開催された1993年ごろの日本の市民社会の様子についてお話を伺いました。

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林 達雄
(特活)アフリカ日本協議会 前代表

=経歴=
1983年 日本国際ボランティアセンター(JVC)より対カンボジア国境へ医者として派遣。難民支援を行う。
1985年 JVCよりエチオピア緊急救援へ駆けつける。医者として活動し仮設病院などを建設。林さんは、団体として初めてアフリカでの業務を担当。エチオピアでは、緊急救援の他に「green for Africa」というアフリカに緑を増やすための活動も行う。「green for Africa」は、当時は珍しい現地で活動する日本の市民社会団体(緑のサヘル・CanDoなど)が設立されるきっかけとなった。
1989年 JVC事務局長に就任
1993年 JVC代表(1995年退任)
2000年 (特活)アフリカ日本協議会代表(2014年退任)
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林さんこんにちは。本日はよろしくお願い致します。早速ですが、林さんはいつからTICADに関わっていらっしゃるのですか。
―1993年に開催されたTICAD Iから関わっています。しかし私自身はTICADIからTICADⅣにいたるプロセスに関してごく浅くしか関わってこなかったので、正確なことは言えませんが、強いて言えば以下のような印象を持っています。TICAD Iは、「日本政府 対 アフリカ諸国の政府」という意味合いが強かったので、市民社会は全く入れない状況でした。我々市民社会としては、この会議にぜひ参加したかったのですが、受け入れてもらえませんでした。

今よりも閉鎖的だったのですね。ところで、市民社会の中からTICAD開催に反対する声は出なかったのですか。「政府だけの会議など意味がない」等の意見が出てきそうですが。
―私の知る限りでは、研究者やNGOの中には、政府だけの会議に対して危機感を持つ人はいました。その当時はまず、アフリカの事を知っている日本人がとても少なかったのです。知っているという人でも「アフリカ=飢えている」というイメージしか持っていませんでした。TICADが開催されるということになっても、「あ、そうなんだ」という程度の感想しか皆持っていなかったと思います。

市民社会は会議に参加できなかったり、そもそもアフリカに対する認知が低かったりと、様々な課題があったようですが、それらの課題に向けて何か活動を行いましたか。
―TICADの開催は、日本市民にアフリカを知ってもらうよい機会だと考え、アフリカからNGO関係者を呼んでシンポジウムを開催しました。また、このシンポジウムを通して、アフリカの開発や発展について活動しているのは政府だけでなく、市民社会という存在もいるのだ、と日本政府に伝えたかったのです。シンポジウムの一環として、TICADに向けた市民社会の提言書も作成しました。
アフリカからは、7~8人の市民社会関係者を呼びました。この時期は、バブル真っ只中だったので、彼ら・彼女らの渡航費はすべて日本側((特活)日本国際ボランティアセンター)でカバーすることができました。
このシンポジウムの焦点は、アフリカの実情を伝えることでした。アフリカでどのようなことが問題になっていて、その解決のために市民社会がどのような活動をしているかを紹介したのです。例えば、厳しい差別によって自尊心を失っていたアフリカの女性に対して、ロウソク作りの事業を提供し、仕事を通じて彼女たちが自信を取り戻す助けをしたNGOもいました。このようなNGOの活動を知っている人は少なく、アフリカを知るよい機会を提供できたと思います。学生なども含め300人くらい集まり、大盛況のシンポジウムでした。

300人とは、かなり大規模なシンポジウムですね。特に印象に残っている出来事などありますか。
―アフリカ側登壇者の一言が今でも忘れられません。それは「このシンポジウムで紹介した問題は、アフリカ独自の問題ではありません。世界共通の問題なのです。アフリカだけではなく、世界をよりよくする努力をしていきましょう」というものです。この言葉に強く感動を覚えました。
この言葉に心を揺り動かされた人は私だけではなかったようです。TICAD Iの後、アフリカに関する活動をしている17名を発起人として「アフリカ日本協議会」というNPO法人を立ち上げました。シンポジウムでは終わらせずに、今後もアフリカの人々の声を日本に届け続けようという気持ちが集結したのです。
また、日本の市民社会にとって、我々が開催したアフリカに関するシンポジウムはとても新鮮だったようです。当時は、アフリカに従事している日本の市民社会団体は少なかったのですが、シンポジウムでアフリカNGOの存在を知り、彼らと共に活動したいと思う団体が出てきました。このような団体のほとんどは、「アフリカを援助する」という姿勢ではなく、「現地で行われている活動を助ける」という姿勢を大切にしていました。

TICAD I以降、TICADに対して市民社会の中でどのような活動が始まっていきましたか?
―市民社会もTICADに参加できるように、政府と交渉を続けました。どうしてもTICAD本会議の場で市民社会の声を伝えたかったのです。政府との交渉を重ねるうちに、TICADのサイドイベント参加を認められたり、TICAD Vでは、本会議での発言が認められたりと参加の幅が広がりました。今後、市民社会としての立場をどこまで引き上げることができるのか楽しみです。

最後にTICAD VIに向けて一言お願い致します。
―日本の市民社会の皆様には、政府との違いを明確にした活動をしてほしいと思っています。TICADはアフリカに関する様々なセクターが一同に集まる貴重な場です。市民社会としての色をはっきりと出した提言活動をしてほしいです。それ以前に、市民社会が発言する場所が未だに少ないのが問題だと言えますが。TICAD VI開催という機会を用いて、一般の人にもTICADを知ってもらう機会を多く作るとよいと思います。
また、日本の方々には、まず、アフリカを知ってもらいたいです。アフリカ人は「今を生きる、楽しむ」ということを知っています。これは、日本に住む方々の中には忘れている姿勢ではないでしょうか。アフリカに住む人々のために「何かをしてあげる」という気持ちではなく、彼らから、アフリカからたくさんのことを学んでほしい、と思っています。アフリカには、問題ばかりあるわけではありません。こちらが元気になるような要素をたくさん持っている国々なのです。TICADをきっかけに、たくさんのアフリカを知ってほしいと思っています。

林さん、ありがとうございました。TICADへの参加が認められず、さらに日本でのアフリカの認知もそれほど高くないなかで、大規模なシンポジウムを開催した市民社会の想いの強さに驚きました。
林さんもおっしゃる通り、本ネットワークもより多くの皆様にアフリカを知ってもらうことが大切だと考えています。来年開催されるTICAD VIをきっかけに、より多くの皆様がアフリカやTICADを知ることができる場をこれからもご提供していく予定です。ホームページやSNSなどでも情報発信を行っています。ぜひご覧ください。

次回は、アフリカ諸国の大使館で働かれていた経験のある【黒河内 康さん】にお話を伺います。
お楽しみに!

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